キャズム理論とUIUXデザイン

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UX戦略マーケティングキャズム理論

Product Design - 2020 - Three Philosophers

マーケティングというのは特定の製品を売る行為の最適化のことだが、製品の市場価値や成長見込み、購買層の見極めは容易ではない。有名なキャズム(Chasm)理論は、初期市場から成長サイクルにおいての明確な方法論を提示して、各企業のフレームワーク作りをアシストしてきた。このページでは、キャズム理論の目玉である溝・断絶(キャズム)に着目することはもちろん、購買層全体や製品のライフタイムスパンにも目を向け、プロダクトデザインの正しいあり方などを考察してみたい。

キャズム理論:購買層の分類

キャズム理論ではマーケット(購買層)を以下のように分類(分析)している。

キャズム chasm theory

  • イノベーター (革新者)(全体の2.5%
  • アーリー・アダプター (先見の明がある人)(13.5%
  • アーリー・マジョリティ (現実、実用主義な人)(34%
  • レイト・マジョリティ (保守的な人)(34%
  • ラガード (懐疑的な人)(16%

読者の中にはiPhoneを誰より早く買ったと自慢できる人もいるだろう。ネット上では人柱という少々不謹慎な言葉がスラングとなっているが、イノベイターのような特攻隊のような層もあるし、アーリー・アダプターのように先見の明があり、良い製品を比較的ダイレクトに受け止めてくれる層もある。

キャズム理論ではこの直後に(越えるべき)深いを設定している。プロダクトのライフサイクルに対応したチャートは後ほど紹介する。

キャズムを乗り越えた(市場の16パーセントを制圧した)後は、アーリー・マジョリティレイト・マジョリティを合わせた68パーセントの購買層=市場が控えている。アーリー・マジョリティは現実にある程度敏感で実用性について関心を払っている層と言われるが、レイト・マジョリティはもっと保守的だ。

Appleの主要株主でもあるウォーレン・バフェットがようやく2020年になってiPhoneを使い始めたそうだが(まだ使ってないことをネタにしようかと思ったら2020年2月24日付で使用を宣言したらしい)、伝説の投資家視点では「(iPhoneを含めたAppleの製品は)売れ続けるだろうけど、自分には必要ない」といった感じだったのかもしれない。いわゆる未使用の製品カテゴリの利便性に関しては懐疑的な層(ラガード)も存在するだろうし、このサイトでもよく引用する行動経済学における人間が意思決定する仕組み(システム1・2の切り替えの問題)や現状維持バイアスなども手伝って、全き市場の開拓には時代の流れといった機運も必要になってくる。

キャズム理論:製品のライフサイクル

キャズム理論の提唱者ジェフリー・ムーアが名誉会長を務めるChasm Instituteは、下図のような製品のライフサイクルモデルを掲げているが、こちらはより実践的だ。

キャズム 製品のライフサイクル

この図ではキャズムを越えたあとのボーリング効果トルネードが鍵となる。右端のFault Lineなども1冊の書籍になっているくらいで、キャズム理論の各所には深みがあるが、今回は左から順に簡潔にまとめてみよう。

製品を市場に投入するタイミング、言ってみれば導入部(Introduction)の時点で、ある程度の製品の質の確保と、競合分析などは徹底的に行っていなければならないところだが、越えるべき(chasm)に差し掛かったあたりでも、具体的な戦略が定まっていない会社も多い。

キャズム理論においても、製品自体はGrowthを成功させた後で「完成体」に近づけても良いという考えがあるから、初期市場(Early Market)のあたりでは、LEANにおけるMVP的なプロダクト開発を前提としてグロースにつなげていくこともあるだろう。注意したいのはマイクロインタラクションのページでも指摘しているように、設計を間違えると取り返しがつかなくなる箇所・機能もあるので、「MVPモデル」という漠然とした考えに安心しているだけでは、スタート時点から躓いてしまうこともある。

「俺らは競合なんて気にしないよ」というスタンスも分からないではないが、LEANやアジャイルへの落とし込み方法があやふやだったが故に、1年、2年と長い時間が経過しても、プロダクトを改善できないベンチャー企業もよく見てきているから、方法論だけではなく、デザインの工程そのものをより専門的にしていくことが大切だ。

グロースハックの特徴のひとつはtest and tweak(テストと微調整)の繰り返しにあると言われている。企業(製品)の成長=市場の獲得は、分析と堅実な一歩一歩の設計・実装にあるのだ。

ボーリングレーン

キャズム ボーリングレーン

図中にはBowling Effectと記したが、キャズム理論では、キャズムを越えたタイミングにおける最適な戦略や、その実践によって引き起こされる市場の変化をボーリングレーン(Bowling Alley)に例えて表現している。

フェーズ的にはアーリー・マジョリティー現実、実用主義な人)へのアプローチになるが、基本的には(前述の通り)しっかりとした分析に支えられたLEAN(MVP) モデルがあれば、カスタマー中心の開発が可能となるわけで、そこに(このサイトでしつこく言及している)本質的なUIUXデザインなどでフォローアップを行いながら、ホールプロダクトの形成(MVPへの肉付け)を進め、グロースハック的な手法が効果をあげれば、はじめのピンが次々と後続のピンを打ち倒していくように、いよいよとマーケットの開拓が見えてくる。

このサイトでは、UXデザイナーを単なるデザイナーとして扱うのではなく、経営に必須の存在と繰り返し説いているが、カスタマーエクスペリエンスの分析にも長けながらプロダクト(UI)への落とし込みまで行えるUXデザイナーは、キャズム越えから次のトルネードまでのフェーズにおいても、貴重かつ強力な戦力である。カスタマー(ユーザー)のタッチポイント(気持ち)はできる限り可視化し、セグメント化し、製品やサービスに反映していかなければならないのだ。

トルネード

ボーリングレーンにおけるセグメント間の連鎖作用は、強力な竜巻(トルネード)に飲み込まれながら天高く上昇していくかのごとくに、企業(製品)に急激な成長を呼び込む。

ここまで来る頃にはプロダクトの質も安定し、アーリー・マジョリティも獲得するから、マーケット内では、新たなレガシーやレギュレーションも生まれてくるし、新規参入組への分析、対処などもより大きな課題となってくるだろう。

この後、製品のライフサイクル的には、Thriving(繁盛)、Maturing(熟成)、Declining(減退)というフェーズを経ていくことになるが、さらなる付加価値を提供し、競合よりも優位に立つことで、長期的運用が可能になってくるだろう。

このトルネード理論は、スティーブ・ジョブズが禅思想などと共にお気に入りの書籍の一つにあげていたことでも有名で、書籍の帯にも「キャズムに落ちた企業はすべてを失い、トルネードに乗った企業はすべてを手に入れる」というスティーブ・ジョブズの言葉が記されている。

マーケットとプロダクト

さて特定のプロダクトの成長サイクルはどうかと言うと、例えばiPhoneのオリジナルは2007年に発売されたが、デザインの現場で本格的にスマートフォンへの対応が始まったのが2013年くらいの印象なので、やはり導入からグロース(成長)までの過程には時間がかかるのが実際だ。ちなみにiPhoneが初めて年次の販売台数が1億台を超えたのが2012年で、2015年も前年から大きく伸ばし初めて2億台を超えた。2016年以降は横ばいが続いていたが、本年のコロナ禍が様々な影響を与え、世界的に見通しが不安定になっている。いずれiPhoneにも先の図で示したDeclineの時期がやってくるだろうが、そこにはビジネスモデルの変化や単純なデザインレベルの問題など様々な要素が絡んでくるだろう。

ジェフリー・ムーア氏は講演などで、近年流行のデジタル・ディスラプション(Digital Disruption)というキーワードとキャズム理論を絡めながら語っていたが、例えばUIUXデザインはプロダクトの質を高めていくことにフォーカスするわけだから、成長曲線への直接的関与は図のそれよりも「なだらかで長期的」なものになる筈だし、あまり世のトレンドには流されすぎずに、「プロダクトデザインの世界はもっと流動的で、もっと本質的である」ということも銘記しておこう。

また、iPhoneとAndroid端末があるように、特定の製品には当然のことながら競合の存在がある。(特定の)製品を開発し、苦労してキャズムを越えさせても、時間をかけてナーチャリングした購買層を、他社が発売した同一カテゴリの製品に根こそぎ持っていかれるということも起こり得るわけだ。キャズム理論は、特定の製品(たとえば「Google Pixel」「iPhone」「Xperia」)への理論として捉えるのではなく「スマートフォン」という括り(カテゴリー)でマーケットと向き合うことを前提としている。

そしてこれも重要だが、製品設計の際には、(前述および)アフォーダンスのページでも解説しているように、とある製品が市場に浸透していく過程で、レガシーレギュレーションなど様々な要素が生成されて(しかも変化して)いくということにも注意したい。マーケットの動きは、プロダクト設計にも大きく影響してくるので、局所的には幾度となく多角的な検討が必要になってくるのだ。

まとめ

そもそもこのキャズム理論も、初版が1991年で、2013年の第3版が最新ということだから、浸透までに時間を要したとも言えるだろう。5000部刷ればという目標が100倍近くになり、テック業界のバイブルとなった。これはキャズム理論がテクノロジー製品に特化した理論だったということも大きい。文中でも触れたが、時代とともに運も手伝って成長していくものがある。まさしくキャズム理論や私の技術はそれに該当する。もしテクノロジーの進化が無かったら、ムーア氏も私も「仕事の喜び」が半減していただろう。

重要なのは理論で止まっていては何にもならないということだ。とある3大キャリアのデザイン案件で、前述のDisruptionを前面に出す有名コンサル企業から出向のスタッフがあまりにも不出来で、マネージャーが半年間ブチ切れ続けていたことがあった(もちろん私は現場ではあからさまな態度はとらない)が、「デジタル」という言葉にはハイエナのように群がってくる勢力もあるだろうから、質の底上げがなされず、今後も欧米には遅れを取ってしまうようなことも十分に考えられる。

様々な案件において、経営のあり方や組織、イテレーションプランなどを見渡した時に気がつくのは、「あらゆる要素を有機的に結びつける能力・人材の不足」であり、この業界における慢性的な課題となっている。時代や市場のニーズには敏感であると同時に、技術者、経営者それぞれの担当区分で、一歩一歩、現実的に施策を立案・解決していくところに、今回紹介したキャズム理論などが、担当する企業のフレームワークにしっかりと組み込まれ、大きな成果を上げる日も来るであろう。