Donald Judd | 美術評論

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芸術と表現モダンアートドナルド・ジャッドとミニマリズム

Critique - 2020 - Three Philosophers

身の回りには僕らの生活を豊かにしてくれるものがある。たとえば、衣装ケースや本棚はどうだろう。機能的で、狭い部屋の「とある空間」にピッタリと収まってそつなく働いてくれる。真四角で安っぽく、時にベッドの下に隠されて存在を消されてしまうこともあるだろう。

その一方で、人間は無機質な生活とは別の「感動」を求めている。ゴッホの作品が来日すればいつだって盛況だし、上野の小さなコンサートホールでさえ毎日のように熱気に包まれている。そこに我々を突き動かす何かがあるからだ。

Donald Judd ドナルド・ジャッドとミニマルアート

生没年 1928/6/3~1994/2/12
代表作 無題シリーズ
特徴 立体作品、コンセプチュアル、箱、家具、反復、ミニマルアート

ドナルドジャッド 木の箱

Untitled - 1989 - Donald Judd

ミズーリ州出身のドナルド・ジャッドの作品は、そのどれもが無機質で、人が(芸術として) 意識しないような形状(objects)を特徴としている。

彼の作品はミニマルアートと呼ばれることが多い。「あらゆるものを排除して、それでもまだ芸術と呼べる最小の単位のようなものを議論とともに提示しようと試みるアートの傾向(同朋舎:モダンアートの魅力)」と定義されることもあるし、戦後のニューヨークで一大ムーブメントとなった抽象表現主義の対極にあるとか、作品そのものに抽象性を見出す論評もある。

ドナルド・ジャッド コンクリート 建築作品

15 untitled works in concrete - 1980-1984 - Donald Judd

いつから人々は部屋の隅に置かれた本棚やクローゼットに真顔で芸術的評価を下するようになったのだろうか。「そこには何もないよ」と言ってやりたいのだが、コンセプチュアルアートやら、このミニマリズムやら、本筋からそれてしまった人たちが作り出す言葉や概念は、いつも滑稽で儚(はかな)い。

MOMAとドナルド・ジャッド

ドナルドジャッド回顧展MOMA2020年

Untitled - 1991 - Donald Judd

さて、MOMAでは2020年に約30年ぶりとなるドナルド・ジャッドの大回顧展がスタートしたのだが、現在ニューヨークは世界を揺るがすコロナウィルスに最も打撃を受けた都市の一つとなってしまった。完全に都市としての機能を失っている状態だ。7月まで続くはずだった会期も不透明だろう。

ドナルドジャッド回顧展MOMA2020年

Detailed drawings - 1984 (the first two, from left) and 1986 - Donald Judd

この展覧会では設計図のようなスケッチまで公開されていた。確かに綺麗だし、ややトリッキーな色の配列に興味をかられ、その場にしばらく佇んでしまいそうだ。

ドナルドジャッド回顧展MOMA2020年

Untitled - 1967 - Donald Judd

地元のニューヨークタイムズ紙は、ポップな写真と、しゃれっ気のある文章でジャッドの作品を伝えている。いつしかまた人々が、普通の生活を取り戻し、好きなアートに触れ、心地よい時間を過ごせるようになることを祈りつつ、評論に戻ろう。

ジャッドの作品の評価

ドナルド・ジャッド 作品

Untitled - 1968 - Donald Judd

ジャッドの作品がミニマルアートとして「最小化を果たしている」ことは、多くの人が認知しうる事実である。だがその本質に目を向けてみると、ジャッドの作品からは、優秀な芸術作品が有すべきエネルギーの蓄積が確認できない。それは「抽象の結果」としての最小化ではないことに起因しているのだ。これが僕のジャッドの作品に対する芸術的評価であり、この先も揺るがないだろう。

人間は眼前の「定義」に弱い。それは行動経済学の「後知恵バイアス」という項でも説明されているが、何の変哲もない小さな箱や、コンクリートの塊を前にしても、「ミニマル」だの「アート」だのと言われると、「そうなんだ」と思ってしまう弱さがある。

人は誰しもルーツを持っている

ただ実際のところは、ジャッド本人はミニマルアートという言葉を嫌悪していたようだし、彼の意志はもっと違った方向に向けられていたようだ。本質だけに目を向けていると(本来それで良いのだが)、当然「ふるいにかけられてしまった対象」のルーツは追えなくなる。好き嫌いや良しあしだけで判断していれば、周りの面子や風景は一向に変化しないだろう。

ジョエル・マイエロウィッツ セントルイス ブッシュスタジアム 写真集セントルイスとアークより

Busch Memorial Stadium - 1977 - Joel Meyerowitz

部屋中にセザンヌのコピーを貼り、モーツアルトのみを聴いて過ごす。まぁ素敵といえば素敵なのだが、そういう出来のよい人に限って何かしらのストレスを抱えているはずだ。君がこれから出会う様々な作品には、芸術のエッセンスとは別の、その個人にとって大切な何かが隠されているだろう。たとえばニューヨーク出身の写真家であるジョエル・マイエロウィッツは、ジャッドの出身地でもあるミズーリ州セントルイスの有名なアーチ(アーク)を被写体にした。この「Busch Memorial Stadium」は私の大好きな作品なのだが、セントルイスの風景にはマイエロウィッツを突き動かす何かがあったのだろう。ジャッドも然り、ミズーリ州で過ごした幼少期の体験が原風景となり、自己形成やその後の作品を構成する大きな要素となった筈だ。

ジャッドと僕ら

ドナルドジャッド 木の箱

Untitled - 1972 - Donald Judd

では、もう一度この小さな箱と向かい合ってみよう。クリストの包装紙のように、えらく概念的な作品なのかもしれない。そう見えてこないこともない。いや、そうに違いない。

常々、こうした本質から逆行するような反駁は、他者から与えられる実に不快なものだったが、今や自分の内部から問いかけがおこってくる。もちろんこれは「迷い」ではなく、大人になった成長の証だろう。素晴らしき人と出会い、そのひたむきに人やモノと向かい合う姿に感動し、私も様々な作品との向き合い方を学んだ。反復するオブジェクトやコンテナに安らぎや心地よさを覚えたジャッドの純粋な精神や作品に、芸術としての本質を問う必要は無いのである。

仕事としてデザインやアートと向き合っているわけではない皆さんが、対象を「本質的に正しく」評価する必要は全くない筈だ。存分に、そして自由に各人が定義する「アート」を楽しむことが一番だと思う。単純な作品であればあるほど子供の頃の純粋さを取り戻すキッカケになるかもしれない。心がジャッドの箱のように空っぽになったら、愛する人に笑顔で語りかけてみよう。おそらく「気持ち悪い」と言われるだろうが、それは君が再び前に進みはじめる瞬間なのだ。それが芸術の力なのである。