Critique - 2024 -
Less, But Better
ディーター・ラムスのこの言葉はデザイン業界ではとても有名だ。
単体だとかなり抽象的な言い回しに聞こえもするが、この言葉は10の原則から成り立っている。10もある分「Less」とは言えないが、ラムスのデザインが思慮深く、慎重な検討を経て行われてきたことを示している。
生没年 | 1932/5/20~ |
代表作 | SK 4 Phonosuper (1956), RT 20 (1963), audio 310 (1971), ET 66 (1987), 他 |
特徴 | インダストリアルデザイン、建築、 |
model SK 4/10 - 1956 -
別にデザインはシンプルでなくても良い。ゴチャゴチャしていても美的センスに富んでいればカッコよくなるのだが、エッジが立ちすぎていると部屋が冷たくなったり、周囲との調和が崩れたりする。大抵の場合そういったプロダクトは年齢とともに愛着も薄れてくるのだが、ラムスのデザインはずっとカッコ良い。
写真は「白雪姫の棺」とも称されたレディオグラム(コンソール:ラジオとレコードが一体となった製品)で、時代を超えた名プロダクトとして今も語り継がれている。
もちろん彼の作品にも、ツンとトンガっているものもあるけれど、どこかにやわらかさや優しさのようなものがある。これは美術学校で建築も学んでいたラムスらしい特徴なのかもしれない。芸術を好んだル・コルビュジエの描く絵が、完璧には遠かったけれど暖かみがあったのにも似ている。
注:ディーター・ラムスはヴィースバーデン美術学校でインテリアデザインと建築を学んだ後、1955年にBraun社にinteriors architectとして登用されている。
ブラウン社のサイトにおけるディーター・ラムスによる良いデザイン10ヶ条は以下。(より原義に近いのはこちらのサイトで、深い部分の理解には、どうしても日本語だけだと大雑把になってしまうので両方用意した。)
この中では特に(3)のAestheticの解釈が難しいだろう。ここを広義に解釈出来ないとイッパシのデザイナーにはなれない。
革新性(1)、デザインの美しさ(3)は同時に追えるが、技術依存であり、また同時に技術への配慮がある。(ここは理想ばかりではないということ)
長命である(7)というのは必ずしも耐久性のみを追求したものではないが、根源的に美しく(3)、実用性に秀でている(2)故に、長く使われる。誠実であるから(6)、そのディテイルも優れている(美しい)(8)(3)。つまりはユーザーを置き去りにしない(理解をもたらし、押し付けがましくない)(4)(5)
これらの原則に忠実なデザインは抑制され(10)、やはり美しさに帰結する(3)
T4, P1 - 1959 -
(1)の革新性に関しては、1959年リリースのポータブルレコードプレイヤーのP1やポータブルラジオのT4を見るだけでも「なるほど」と頷ける。
この革新性にはソニーの初代ウォークマンも真っ青だろう。
さらにこのプロダクトには実用性の面でも驚きのエピソードがあるので製品ページをご覧いただきたい。(自分のアイディアではせいぜい携帯コンロでBBQ程度だろうか。)
(3)のAestheticに関しては、これはもうその人が学んだ分である。学んで理解したものが全て表現力となり、プロダクトの出来栄えに帰結していく。この深みとユーザーはある種の契りを交わすわけだから、(僕は)ユーザーエンゲージメントというある種の指標を大事にしている。
(10)は日本語だとよく分からない。英語サイトを読み解くと、「Less, But Better」には抽象性すら問う側面があることが窺える。この部分の読解力(理解力)があるかないかで、設計対象の製品(ビジネス)の長期的な成功、あるいは失敗の両方に繋がるような気さえしている。
ラムス邸、庭 - from 1971 -
大工を祖父に持つラムスは「伝統的な日本の建築では、床、壁、天井が明確かつ正確に構成され、素材と構造が慎重に組み合わされていて、豪華さ、模様、派手な形式のヨーロッパの美学よりもはるかに洗練されています。」と語る。
よく見ると邸宅の室内には「一期一会」の書が飾られてあるし、庭自体も日本の一般的な家と同様に小さな空間だ。この侘び寂びの効いた庭での作業を「とても刺激的で、家具システムや電化製品に匹敵する一種のデザイン作業のようなもの」とも語っている。
(ソース:vitsoe.com)
十箇条はそれこそもう少し「Less」すればもっと「Better」になるから、ざっくり5つ(半分)にしてみた。(感覚的には10→3+2)
製品としての質は2に全て込めた。実用的であるということは、とっつきやすく、使いやすく、長持ちする。ひとまずカッコよくある必要はない。我が家ではパナソニックのとある空気清浄機が15年目に突入したが、こういった製品が当てはまる。そこにエンゲージメントを高めてくれるような要素として、1、3が存在している。この両項目でビジネス面の成功とデザイナーのフィロソフィ、思いの全てが充足する。Aestheticという言葉はこのサイト上のあちこちで述べている。革新性もワクワク感に繋がるだろう。良いものは「飽き」が来ない。
強調したいのは、ディーター・ラムスはとても慎み深いということ。
オリジナルの十箇条における(5)Unobtrusiveは、日本語サイトでは謙虚であると訳さていれるが、ラムス(当時のブラウン社)のデザインする製品は「まず道具として存在している」ということを言っている。
ユーザー寄りであり、装飾でもアートでもないということ。無論「アート」そのものの解釈がややこしいのであるが、日本人がよく考える現代アートとは違うということははっきりと注意しておく。
前述の通り、ラムスは日本の建築などのデザイン文化からも影響を受けているし、ロマン派時代の建築(Eberbach MonasteryやCastel del Monteなど)にも惹かれているそうだ。同時に歴史に関心を持っていない現代の多くのデザイナーの弱さも指摘している。(個人的には「歴史に関心」の部分をそのまま「学び」と解釈している。)
Castel del Monte - 1240s -
日本でデザインの仕事をしていると、ぼんやりとしたコンセプトのみで方法論にのみとらわれ右往左往している現場をよく見かける。
本来、ユーザーエンゲージメントであれなんであれ、プロダクトにいくばくかでも永遠性を付与するような知見や深みが必要とされて然るべきなのだが、DXブームやらも手伝って、案件が増え、そこにある程度の資本が動くようになった分、質の低い技術者が増えた。
音楽の世界であれ、現代アートの世界であれ、デザインの世界であれ、要素が少ないことがミニマリズムと勘違いしていたり、まぁそういった深みのある世界は良しとしても、身近にあるインターフェイスデザインの現場などでも、ディテールからビジネスとの接点まで、何から何までセンスのない人が目につくようになってきている。
(実際の現場での経験も手伝って)4つ目の項目として付け加えたのが「Primal」:根源への理解だ。中世以降、良いものはたくさん残されてきたし、受け継がれてもきた。そういった歴史、根源にも目を向けてほしいと思う。Castel del Monteが建立された頃、日本には(日本)史上最高の芸術家の一人と目される運慶・快慶がいた。東大寺の金剛力士像とディーター・ラムスの電卓がリンクするかはさておき、デザインも本来はプロポーショナルなものであるべきだし、それはビジョンによって形作られていくものだ。
ビジョンというのは知見であり、経験であり、その人の培ってきた技術と思いの全てなのである。
ET 66 - 1987 -
さらに5項目目として「Principle」よりもさらに厳格な「Precepts」という言葉を持ち出してみた。これは企業活動と、デザインにおける技巧の両面に有効である。
もっとも、やや重たい気もするので、例えばリードデザイナー無き後に、といった限定的な項目と考えてもよいし、アップデートの余地も残すべきだろう。
デザインは難しい。ベンチャーや中小企業だと、自分が現場を去った後に何もないに等しい状態になってしまったこともあった。フィロソフィの維持、品質の維持は容易ではないという点で、厳格な規則が必要だということだ。
ラムスがCastel del Monteという建築から受けた感銘は「率直なアプローチと忍耐強い完璧さ、良い解決策に対する敬意の表れ」という部分だったそうだが、古典派の和音であれ、ルネサンス期の芸術(構成・デッサン)であれ、良く長く保たれるものは律されている。規則・規律があるのだ。