Marcel Duchamp | 美術評論

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芸術と表現モダンアートマルセル・デュシャンと現代アート

Critique - 2020 - Three Philosophers

小学生の時、鑿(のみ)で顔の形を掘る彫刻の授業があった。なれない鑿の扱いに苦戦しながらなんとかカタチにしていったのだが、くちからアゴの部分にさしかかったところで顔の先端を砕いてしまった。不幸にもこの時の美術の先生は鉄拳制裁で恐れられていた人だったので、それなりに腹をくくったのだが、意外にもかけてくれた言葉は「おー良いじゃないか。迫力がある。」というものだった。

いわゆる美術というのはデッサン造形ありきで、義務教育期間しかり成人するまでは抽象性やらの深い部分を教育者が語りかけてくれることはなかったし、パフォーマンスだの概念だのという陳腐なものは、たとえユーモアを含むものであっても、見せしめにされ叱責された。だから一部は反発的にもなるし、私にとってもおそろしく退屈だった。

Marcel Duchamp マルセル・デュシャン

生没年 1887/7/2(フランス)~1968/10/2
代表作 泉、大ガラス
特徴 Dada、Futurism、Kinetic、ReadyMade(レディメイド)

デュシャン 泉 便器

Fountain - 1917(Photo by Alfred Stieglitz) - Marcel Duchamp

マルセル・デュシャンの「泉(Fountain)」と名付けられたこの作品は有名だ。正直僕にはこの作品がどんな属性の人に愛されてきたのかはよく分からないが、今では20世紀最大のアートとも言われている。当初この作品はニューヨークの美術展に出品されたが、展示されることはなく、一人の写真家によって二次元に収められ、有名なダダイズムというムーブメントの刊行物に掲載されるにとどまっていた。

小学生の時の自由創作でこんな便器でも作ろうものなら、少なくとも友達の間ではヒーローになっていただろうが、あの美術の先生はどんな反応を見せただろうか。美術の先生というのは基本的にアカデミックなのである。ルノワールでさえ、美術の先生にその作品を「くそデッサン」呼ばわりされ、指突き立てて(想像の域)アトリエを出ていったのである。あれほどハッピーで、言い知れぬオーラを放つ作品を残した男でさえ、アカデミーからは「グニャグニャとだらしない異端」的な扱いを受けていたのだ。

デッサンであれ色彩であれ、物事を真正面からとらえようとするのが芸術の伝統であるし、その行為に威厳をもって目を光らせているのが先生(アカデミー)という存在なのである。現在とは違い保守的な考えも根強かったであろう20世紀初頭にこういった作品を投下するのは勇気も必要だっただろうが、皮肉にも当初見向きもされなかったこの作品が(良くも悪くも)後続のアーティスト(表現作品) のカタリストとなっていくのだ。

デュシャンの作品のルーツ

家系を見るに、デュシャンは芸術家としては血統馬だった。7人兄弟のうちデュシャンを含めた4人がアーティストとして成功しているし、祖父も彫刻家であった。加えて、デュシャンが1904年から1905年の間に通ったアートスクールでは、アカデミック絵画の巨匠ブーグローが教えていたし、1911年に彼の実兄が自宅で開いたディスカッションには、実力者のフェルナン・レジェも参加している。

このように、デュシャンは20代前半の時点でアカデミックな作品はもちろん、印象派キュビズムといった当時台頭してきた新しい表現技法もすべて吸収していったようだ。その並外れた表現力は「泉」発表の3年前に描かれた「階段を降りる裸体(Nude Descending a Staircase) 」という快作からも窺い知ることが出来る。

デュシャン 階段を降りる裸体

Nude Descending a Staircase No.2 - 1912 - Marcel Duchamp

デュシャンのこの作品の先駆けとなったと言われているのがエドワード・バーンジョーンズの「黄金の階段(The Golden Stirs)」という作品だ。TATE UKの解説によれば、ラフェエル前派に属していたバーン・ジョーンズのこの作品自体も、彫刻家のジョン・フラクスマンボッティチェリの影響を強く受けていたそうで、やはり良い作品には伝統が根付いているのである。

バーン・ジョーンズ 黄金の階段

The Golden Stairs - 1880 - Sir Edward Coley Burne-Jones

もっともデュシャン本人は、素晴らしい先生のいる美術学校の授業よりもビリヤードに興味があったようだし、品の無い漫画を描いては小銭を稼いでいたらしい。同年の兵役中にはタイポグラフィー印刷技術も学んだようで、テクニカルな面では鬼に金棒状態になっていったようだ。問題作の「泉」に何気なく添えられた「R. Mutt 1917」というシグネチャーが作品を引き立たせているのも彼の技巧のなせるわざだろう。

デュシャンの造形とコンセプト

マルセル・デュシャン 大ガラス Marcel Duchamp The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even (The Large Glass)

The Bride Stripped Bare by her Batchelors, Even (The Large Glass)
- 1915-1923 (reconstruction by Richard Hamilton 1965–6) -
Marcel Duchamp

傑作は続く。この一見理解不能な「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(通称:大ガラス)(The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even (The Large Glass))」という作品も彼の代表作の一つだ。郵送中に損傷を負ったりと、なにかと曰く付きの作品なのだが、レプリカとなってもオリジナルの魅力は保たれており、見るたびにすーっと引き込まれていく。この難解な作品は各パーツに意味があるらしく、ウェブ上でも解説が豊富だ。

ちなみに画面左下の独身者にあたるパーツにもバーン・ジョーンズの傑作「The Legend of Briar Rose」シリーズの影響が認められている。タイトルに引っ掛けていえば、ディテール「さえも」豪華ということになるのだろう。

チェスプレイヤーとしてのデュシャン

アートの世界を席巻したデュシャンだったが、30代になり突如チェスプレイヤーになると宣言する。美術界からすると大いなる損失であったかもしれないが、クラシック音楽の世界でも30代後半に本業に区切りをつけ料理の道を選択したロッシーニのような人物もいたし、こればかりは本人の意思だからしようがない。

マルセル・デュシャンとチェス

Marcel Duchamp playing chess in his studio - 1952 - Kay Bell Reynal

プレイヤーの強さを示すレーティングは2300くらいだったとの分析もあるようで、レーティング1600でチェス人口の9割、つまり趣味程度の人なら軽く倒せるようになるということだから、すごいレベルである。そもそもチェスのチャンピオンやグランドマスターは子供のころから訓練を受け、成人の時点でほぼ完成されているある種のネイティブたちだ。中年期からレーティングを伸ばしていったデュシャンの熱意や継続性には頭が下がる。

デュシャンはその後、チェス・オリンピアードにも参加するなど活躍し、40年代になるとニューヨークのマーシャルチェスクラブで熱戦を繰り広げるようになる。このクラブには伝説的世界チャンピオンのボビー・フィッシャーや映画監督のスタンリー・キューブリックも会員として名を連ねていたとのことだ。デュシャンは「すべてのアーティストはチェスプレイヤーではないが、すべてのチェスプレイヤーはアーティストである」と、思いのほかまっすぐな言葉でチェスを讃えている。

美術家としての最後のメジャーワーク

マルセル・デュシャン インスタレーション 覗き穴

Étant donnés - 1946–66 - Marcel Duchamp

デュシャンはチェスの世界に身を置きながら、前述のチェスクラブのあったグリニッジビレッジのスタジオで、人知れず「与えられた: 1.滝 2.灯用ガス(Given:1.The Waterfall, 2.The Illuminating Gas) 」というこれまた難解なタイトルがつけられた作品を手がけていた。実際には立体作品なのだが、木製ドアの小さな覗き穴から鑑賞する仕組みとなっている。

マルセル・デュシャン

Étant donnés - 1946–66 - Marcel Duchamp

覗き穴からは、視野の大部分が暗闇でメインステージは限定的な空間だが、破壊されたブロック塀の向こうにガスランプを持った裸体と粗野ともいえる風景が広がっているのが確認できる。デュシャンの没後に発見されたこの作品もラファエル前派ウィリアム・ホルマン・ハントの「世の光(The Light of the World)」をモチーフにしていると言われており、デュシャンの代表作のすべてにアカデミックな作品が影響を及ぼしていたことになる。時間のある方はぜひ二つの作品を見比べ、感じてみてほしい。覗き穴をのぞくようにデュシャンのインサイトが見えてくるかもしれない。

まとめ

小学校の彫刻の授業が人生にどれほどの影響を与えたのかは分からないし、デュシャンの作品が真のアカデミック作品かと聞かれればノーと答えるだろう。本質というものは、少しばかり手本になるものをかじったところで易々と身につくものではない。ダヴィンチやラファエロはおろか、ピカソやマティスでさえ遠くのほうに存在していた筈だ。

ただし、現代アートとしては極上なのである。単純に質が高いから、コンセプトを追わなくても十分楽しめるのだ。多種多様でレベルも高かった20世紀のアートシーンにおいて、デュシャンは見事にチェックメイトを決めてみせたのである。